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最高裁判所第二小法廷 昭和61年(あ)961号 決定

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鳥取県気高郡気高町大字酒津四四七番地二

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中江時雄

大正五年一月二三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六一年七月二一日広島高等裁判所松江支部が言い渡した判決に対し、被告人ら上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人藤原和雄の上告趣意は、憲法二九条一項違反をいう点を含め、実質は量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告の理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 林藤之輔 裁判官 牧圭次 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)

○ 上告趣意書

被告人 中江時雄

右被告上告事件の上告趣意書は左記の通りである。

昭和六一年九月二〇日

右被告弁護人 藤原和男

最高裁判所第二小法廷 御中

一(1) 被告人は要旨、

第一に、昭和五五年分の所得税金一五、八三九、〇〇〇円を免れ、

第二に、昭和五六年分の所得税金一七、六三五、九〇〇円を免れ、

第三に、昭和五七年分の所得税金九、七八七、八〇〇円を免れ、

たとして懲役一年 執行猶予三年

罰金一〇、〇〇〇、〇〇〇円

の判決を受けた。

(2) しかし次項以下に述べる事情のあるとき、右罰金額は極めて高額であり、斯かる高額の罰金を被告人に科するのは社会正義に反し、憲法第二九条第一項の所有権保障の趣旨に違背するものとして許されない。

二(1) 被告人は、昭和五三年、被告人の人生の絶項期とも云える時期に、脳血栓で倒れ、病院に入院せざるを得ないことゝなった。

この際被告人は、一途に右事業と町議会議員としての政治活動に没頭して来た自己の過去を顧み、自己の将来に不安を抱くことゝなった。

(a) これは脳血栓と云う再起不能の病症により自分の身体に自信を喪失したこと。

(b) 将来多額の治療費、入院費、雑費を必要とすることが予想されるところ、この病症の性質上、是等の費用が多額であり、亦何年続くか分らず、或いは死に至るまで何十年に亘るかも知れないが、家族等は到底これを賄う資力を有していない。

子供等に頼って生活し得る旧来の社会環境は既に崩れ去っている。

(c) 民間の中小企業者、自営者等の老後は、それまでに自力によって蓄積した資産に頼る他はない。

給与所得者については、諸々の年金、共済金の支給により老後の保障が確立されているところ、右自営業者等に対しては何等の保障も無い。

即ち右自営業者等の老後は、事前の相当額の貯えが無ければ悲惨を極めることゝなることは我々の現在並びに過去の先例上明らかとなっている。

(2) そこで被告人は脳血栓の病症により、自己の老後の右不安に気付き自由主義経済体制の中に生きる者として老後の責任をも自ら執らなければならないとする焦燥感が本件各行為に走らせてしまったものであり、一凡人としての被告人の心境として充分に同情し得る。

三(1) 而して右によって脱税した金員の使途は、

預貯金

子供等の学費

に充てゝおり、世間によくある女、飲食代等には消費されていない。

謂わば極めて真事目な脱税者であった。

(2) 被告人は、本件脱税により申告額を修正し、既に脱税した所得税はもとよりのこと、これに併せて重加算税を納付し、この金額は多額に上っている。

被告人が脱税した金額を優に超える金銭が既に右により支出されている。

四(1) 現在被告人は、同人が心配していた通り自己の力を以ってしては法定に立つことも出来い身体的障害者となり、所謂寝たきり老人となってしまった。

(2) この上被告人に対し、罰金壱千万円と云う多額な刑罰を課するのは被告人に対し苛酷な経済的要求をなすものと断ずる他はなく、被告人の生活の本拠たる家、宅地(これは右脱税により得たものではない)を売却する他はないことゝなる。

五 以上の諸点を考慮するとき、再起不能且つ何時死を迎えるかも知れない被告人に対し、罰金壱千万円を科するのは如何にも高額に過ぎる罰金額(この罰金額は将来をも正常の稼働と生活をし得る者に対する金額である)と云うべく、よって被告人は憲法第二九条第一項違背の右刑罰(罰金額)を言渡した原審判決を破棄せらるべく刑事訴訟法第四〇五条第一号、同第四一〇条に則り、亦仮りに右憲法違反でないとしても刑事訴訟法第四一一条第二号の正義に反する量刑不当により原審判決を破棄せらるべく上告した次第である。

以上

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